*こういう個人個人の交流の積み重ねが国同士の友好へと繋がっていくと無邪気に信じていた時期が、私にもありました。
今はまったく思ってません。

で、私、ぶっちゃけ以下の二つが好きじゃないです。

①個人交流の積み重ねが、反日教育や反日報道を国教としてやってる国との友好に、将来的に役にたつと本気で思ってて、それを押し付けるように主張してるタイプ。サヨクとかお花畑に多い。

②良い韓国人や仲の良い韓国人がいたという「個人的体験」を嘘扱いしたり全否定したりするタイプ。保守というか嫌韓に多い。

とくに①を否定するために②を持ち出すのは感情論でしかないと思う。
「別枠」として把握すべきだと思います。
国と国は徹底的に損得計算だけを考えてつきあったほうが、長期的にはうまくいく。
「情」的な部分で解決しようとしたら、その瞬間の気持ちよさは得られますが、長期的にはマイナスです。


以下、客観的証拠のない話です。
私の個人的な意見なので、そのへん了解してお読みください。

「善意の競争」という言葉、気になりませんか?
これを韓国がよく使い始めたのは、おそらくですが真央ちゃんがきっかけです。
この言葉で検索すると、スケート関連の記事ずらり。最近はそこまででもないですが、一時期これで検索すると、ずらっと真央ちゃんとキムヨナでした。
韓国メディアがどれだけインケンでゲスかったかというのは、過去に何度も書きましたが、そんなゲスいなかでも、苦心惨憺があったのでしょう。
で、さらにいうと、真央ちゃんがキムヨナについて問われて「切磋琢磨して~」と表現したのを、韓国メディアが「善意の競争」と翻訳したのがきっかけじゃないかなと思ってます。
韓国語にも「切磋琢磨」はあるんですが、日常的に使われてなくて死語化してて、普通に使っても一般的に通じない四字熟語なので、そう翻訳したんじゃないかなと思ってます。
これで思うのは、韓国には「切磋琢磨という概念」が一般的じゃなかったの?という疑問ですね。
さらにいうと、わざわざ「善意」とつけるということは、「競争」という言葉にはネガティブなニュアンスがあって、韓国的には「他者を蹴落とすというような、悪い気持ち」が内在しているということなのかもしれません。このへんネイティブじゃないのでニュアンス的なものはさっぱり分からず、ぜんぶ私の想像にすぎないのかもしれませんが。
ただ、私の想像通りだとすると、私の知る「他人の足を引っ張って蹴落として序列を上げるのを競争だと思ってる韓国」という認識に合致はします。
いずれにせよ「切磋琢磨」を「善意の競争」にするのはかなり違和感があります。なんかニュアンス的にたいぶ印象が違う気がする。ありていに言うと、「切磋琢磨」にはすがすがしさを感じるけど、「善意の競争」はべたべたした善意の押し付けみたいなものを感じてものすごく気持ち悪い。